未経験でも卒業時年収920万円、短期集中プログラミングスクールTuring

先日、あるプログラミングの教則本を読んでいたところ、その中で紹介されていた米国コロラド州のThe Turing School of Software & Designというプログラミングスクールの存在を知った。受講者の多くはプログラミング未経験者だが、卒業後の初年度年収の平均額は77,000ドル(約920万円)だという。このスクールのカリキュラムや生徒の選考過程、卒業者の経歴など様々な点で興味深かったため、スクールのWebサイトの内容のまとめてみた。

英語でのコミュニケーションに自信があり、プログラミングに興味がある方は是非挑戦してみてほしい。学費は17,500ドル(約210万円)とやや高めだがローンプログラムも用意されており、卒業後に平均額の年収(約920万円)の仕事に就くことができれば、3ヶ月以内に元が取れる計算になる。

概要

  • 学位や経験は一切不要。
  • Ruby on RailsというWebアプケーション開発フレームワークを用いて、約7ヶ月間のトレーニングを行う。
  • 卒業生の95%は卒業後3ヶ月以内に仕事を見つけている。また通常3つ以上の仕事のオファーを受けている。
  • 卒業後の給与のレンジは65,000ドル(約780万円)から115,000ドル(約1,380万円)、平均給与は77,000ドル(約920万円)。
  • 公開されている就業先としては、ソフトウェア開発・コンサルティング企業のPivotal Labsやthoughtbot、オンラインマーケットプレイスのLivingSocialやアメリカ合衆国国立公園局などがある。

教員、ボードメンバー

エグゼクティブ・ディレクター

  • Jeff Casimir
    • 世界でもっとも長いRailsの講師経験者。(2005年から)
    • RailsConf(Ruby on Railsのカンファレンス)の講演経験者。
    • Draperという100万ダウンロードを超えるRailsアプリケーション用ツールの作者。
ボードメンバー

カリキュラム

  • 1クラスは20から28人。インストラクターと生徒の比率は平均で1対12。
  • 授業はフルタイムで約7ヶ月間。6週間1タームで計4ターム。各タームの間に1週間の休暇がある。

第1ターム

  1. オブジェクト指向プログラミング
  2. Rubyでのコマンドラインツール開発
  3. テスト駆動開発
  4. Rubyの基礎
  5. テストの自動化
  6. リファクタリング

第2ターム

  1. データベースを利用したWebアプリケーション開発
  2. アジャイルによるプロジェクトマネジメント
  3. HTTP
  4. SinatraでのWebアプリケーション設計、開発 
  5. RailsでのWebアプリケーション設計、開発 
  6. MVCモデル
  7. 様々なレベルでのテスト
  8. データベーススキーマの設計、SQL
  9. Gitワークフロー

第3ターム

  1. サードパーティーAPIの利用、APIの開発
  2. 新規システム開発と既存システム開発における相違の理解
  3. Railsでのマルチテナントアプリケーション開発
  4. jQueryを利用したDOMの操作、RailsとAJAXの連携
  5. セキュリティーホールとその防止
  6. Emailの仕組み
  7. キャッシュ戦略とパフォーマンス向上
  8. Railsにおけるバックグラウンドワーカー

第4ターム

  1. JavaScriptの基礎
  2. JavaScriptでのオブジェクト指向開発
  3. 複数のJavaScript用テスティングフレームワークの利用
  4. クライアントサイドアプリケーションの開発
  5. Node.jsでのWebSocketを利用したアプリケーション開発

なおこのコースの他に、フロントエンド開発のカリキュラムもある。そこでは、HTML、CSS、JavaScript(jQuery、React、Ember)、及びNode.jsを利用したリアルタイムWebアプリケーション開発などを中心に学習できる。

入学選考

  • 特定の締め切り日はない。常時応募可能。
  • 現在までに約1,000人の選考を行い、選考を通過したのは全体の8%以下。

一次選考

  1. レジュメ
  2. 文章(コミュニケーション能力と複雑な問題の説明能力を証明する)
  3. ビデオ(自身のパーソナリティーや情熱、感性などを紹介する)
  4. ロジカルテスト(プログラミングの適正を測るための小さな課題を解く)
※一次選考の通過者は4人に1人程度。

    二次選考

    1時間の面接をGoogleハングアウトで行う。プログラミングとこのコミュニティーへの情熱、また共同作業を行う環境での適性などが確認される。

      ※二次選考の通過者は10人に1人程度。

      授業料

      • 学費は17,500ドル(約210万円)、選考通過後1,000ドル(約12万円)を手付金として支払う。
        • なお学費にはMacBookが含まれる。自分のMacBookを持ち込む場合は学費から1,200ドル(約14万円)が割り引かれる。
      • ローンを利用する場合は、いくつかの提携ローン会社を利用することも可能。
      • 本スクール独自のローンプログラムもある。

      卒業生たち

      ※以下は卒業生の一例。個人的に特徴的な経歴だと思った人をピックアップした。

      M. B. 氏、元スクラムマスター。アジャイル開発に共感。

      G. H. 氏、元米空軍軍曹。娘と共作でおとぎ話を作成中。家具作りも行う。

      D. S. 氏、元会計士。クライアントにフォーカスした仕事が得意。

      D. V. 氏、元プロバスケットプレーヤーで、トレーダーを経て、プログラマーに。

      スクールの様子


      白人男性30人以上の平常時のペニスを見て分かった日本人男性の奇妙な風習

      今年の4月から渋谷区や世田谷区など都心部のジムに通い始めて約8ヶ月になる。そしてその間に30人以上の白人男性のペニスを見てきた。別に私はそれらを肩越しに盗み見してきた訳ではない。勝手に見えるのだ。彼らの多くがシャワーやサウナの利用前後、下半身をタオルで隠すこともなくこれ見よがしに更衣室を歩き回るもんだから、目に入らない方が逆に不自然である。

      で、だ。日本人男性の皆さんは、白人男性の平常時(非勃起時)のペニスの形状がどのようなものかご存知だろうか。勃起時のペニスなら洋物のアダルトビデオで見た経験は一度や二度はあるだろう。しかし平常時のペニスを見た経験がある人、特にそれらを統計としてある程度信頼できるレベルのサンプル数見てきたという人はあまりいないだろう。

      もう結論から書こう。白人男性30数名の内、多くの日本人男性が理想とするところのペニスの形状、つまり平常時でも包皮が亀頭に被っていない、日本語で言うところの皮が「ムケた」状態の人はわずか3人だった。残りの9割が、その逆の包皮が亀頭に被っている状態、日本語で言うところの「仮性包茎」のペニスだった。

      写真:中世ヨーロッパで制作されたダビデ像の下半身。私が目撃してきた白人男性のペニスの形状はほぼこれ。日本ではこれを「仮性包茎」と呼ぶが、これは国際的に認められた医学用語ではなく『ステッドマン医学大辞典』にも登録されていない。また、外国ではこの状態が普通であるため一般的な呼び名も存在しない(Wikipedia: 包茎)。
      なお、勃起時にも包皮が被った状態のことを日本では「真性包茎」と呼ぶが、国際的にはこれを単に「包茎(Phimosis)」と呼ぶ。こちらは医学上の問題も多く、日本では健康保険の範囲内で治療できる。しかし、そもそも罹患者が少ないため、外国では「包茎(Phimosis)」という言葉自体、一般人は知らない専門用語であると個人的には推測する。(ブリガムヤング大学が作成した米語頻出60,000語の中にこの単語は存在しない。なお成人英語話者の平均語彙数は30,000語程度である。)

      いちばん初めに目撃した男性は今も記憶にある。彼は素っ裸で鏡の前でまさにダビデ像のごとく仁王立ちし、筋肉隆々の自分の姿を眺めていた。その鏡ごしに見える包皮が被ったペニスを見て、私は「おや、イメージと違うな、まぁ外国人でも包皮が被った人もいるのか」と軽く流した。続く2人目も3人目も、包皮が被っていた。ヨーロッパでは割礼(乳幼児の時期に包皮の先端を切除する行為)があまり行われないことを以前から知っていたが、なぜか「白人のペニスは包皮が被っていない」という根拠のない先入観があり、「たまたま包皮が被った人に連続して遭遇しただけだろう」と考えていた。外国人の包皮の有無のカウントを取り始めたのもこの頃である。さらに、5人、6人、7人、と連続して同じような状態が続いた時、いよいよこれは偶然にしては何かがおかしいと考えるようになり、GoogleやWikipediaなどで調べはじめた。

      そして、10人、15人、20人同様のペニスを見て、「もう分かったから勘弁してくれ!私が間違っていた!」ともし目の前に机があれば、バンと叩きたくなる気分になっていた。当たり前だが彼らに対して怒っている訳ではない。「外国人のペニスは包皮がない。包皮がないのが正しいペニスで、あるのは間違ったペニス」というようなデマが横行しているこの社会と、またこの歳になるまでそのようなデマに気づかなかった自分自身に腹が立っていたのである。(というよりも思春期を過ぎてからはペニスの形状に関心がなくなっていたが。)

        ひるがえって日本人のペニスはどうだろう。これはジムに行かずとも、銭湯や温泉などで目にすることが多いが、私の感覚値では高齢者はほとんど、若い世代でも過半数以上、全体的に7〜80%程度が包皮が被っていない状態だ。割礼の習慣がないにもかかわらず、である。

        やや古いデータだが1966年のドイツでの調査によれば、割礼を受けていない成人の内、92%が包皮が完全か、あるいは部分的に被っているらしい(Wikipedia: 包茎)。つまり特別な処置をしなければ基本的には包皮が被っている状態が普通なのだ。にもかかわらず、なぜ大半の日本人のペニスは包皮が被っていないのか。その理由は、思春期に「包皮が被っているのは恥ずかしい」と信じて、入浴中やトイレなどで必死に包皮をむく作業に勤しんだからである。しかもこの作業は一夜にして終わらない。来る日も来る日も切実な思いでこの作業に励まなければならない。あぁ、なんてアホくさい、その苦労とそれに費やした時間は一体なんだったんだろうか。外国人(特に白人)が持つと言われている「正しい」ペニスに憧れて、費やした時間。しかしいざ実際の白人を見てみると、自分たちが良しとしない包皮の被ったペニスだったなんて。これはもう悲劇を通り越して喜劇である。この奇習と言っても過言ではない習慣が、日本において、いつ始まったのか、なぜ始まったのか、専門家による文化人類学的考察が必要であろう。さらに日本では、本来なら治療の必要のない包皮を美容的観点から切除するというビジネスまであり、これについてはシンガポール南洋理工大学のGenaro Castro-Vázquez教授による考察が書籍化されている(Amazon: Male Circumcision in Japan)。

        図:割礼が行われてる比率を国ごとに色で示した地図。より赤く表示されているのはより割礼比率の低い国。前述の「割礼を受けていない人のほとんどが包皮が被っている」というドイツの調査結果を掛け合わせると、この図はずばり「仮性包茎比率マップ」とも言える。赤色が「仮性包茎国」、青色が「割礼国」である。例外は日本。日本は割礼の習慣がないにもかかわらず、前述のような習慣やビジネスがあるため仮性包茎の比率が低い。こんな国はおそらく日本だけであろう。

        なお、欧米諸国の中で唯一の割礼比率が過半数を超えるアメリカでも、近年、Intactivist(反割礼活動家、"intact" + "activist" の造語)と言われる人たちの出現や、1998年にアメリカ小児科協会が医療的理由での割礼の推奨を停止したこともあり、人道的側面、医学的側面の論争が続いている(Wikipedia: Circumcision controversies - 割礼に対する論争)。

        写真:反割礼活動家の映画俳優アラン・カミングは言う。「私には包皮がある。私はそのように作られたんだ。包皮はなんの意味もなくそこにある訳じゃない。」
        タートルネックで包皮が被った状態を表している姿は日本の美容外科の広告と同じだが、その趣旨は「真逆」である。

        映像:反割礼活動家の街頭での活動。時折親指を立てて(Thumbs up)賛同を示す通行人もいる。また「割礼は安全に行われている」と言う反論者に対して、反割礼活動家は「割礼で毎年100人以上の子供が命を失っている」と説明する。「アメリカで割礼が行われているのは、医者の金儲けのためだ」と。

        これらの事情もあってか割礼大国アメリカでも割礼比率は近年減少傾向にあり、またカリフォルニア州など西部の州の割礼比率は20%程度というデータもある。また割礼によって失われた包皮を様々な器具や外科治療によって取り戻すという、日本人男性が知れば目を疑いたくなるような試みもある(Wikipedia: Foreskin restoration - 包皮の復元)。また一方で、割礼はHIVの感染リスクを低下させるという医学上のメリットも報告されており、WHO(世界保健機関)は特にHIV感染の高い国(アフリカ等)に対して、割礼を推奨している

        どちらにせよ、ヨーロッパ人が包皮の存在による明確な医学的、社会的不利益をこうむっていない現在において、包皮が被った状態を「正常でない」「恥ずかしい」などと判断するのはやめた方がいいだろう。しかしツイッターで「仮性包茎」で検索した結果を見ると、日本人の多くが包皮が被った状態を正常でない状態と考えているようだ。

        起業家であり都知事選に出馬した経験のある家入一真氏のツイート。「包茎でも起業出来る(彼はツイッターで仮性包茎であることを自認している)」と述べて同じペニスの形状の男性に勇気を与えてるつもりだろうが、逆に仮性包茎は間違ったペニスの形状だという印象を与えてしまっている。このようなツイートは、少数派である自分をさらけ出すことによって高感度を上げる狙いがあるのであろうが、そのペニスの形状は世界では多数派である。

        これらのような誤解が原因で、一部の日本人男性が自分の体に対して不必要なコンプレックスを抱き、それがセックスや恋愛に消極的になる原因の一つだとしたら、これは少子化問題が深刻な日本にとって国家的な損失につながるであろう。(というか私が思うにほとんどの女性が男性のペニスの形状に対する関心はないと思う。)もう一度言う。包皮が被ったペニスの形状は、メージャーリーグで活躍するアメリカ選手とは少し違うかもしれないが、プレミアリーグやリーガ・エスパニョーラで活躍するヨーロッパ選手とは同じなのである。

        写真:ジョン・レノン(イギリス人)とオノ・ヨーコ。調査によれば、イギリスでの割礼率は1930年代には35%あったが、1980年代に6.5%にまで減少し、2000年には3.8%であった。つまり現在のイギリス人男性の約95%が、このジョン・レノンと同じペニスの形状だということになる(Wikipedia: Prevalence of circumcision - 割礼の普及度)。

        (2016/1/1 追記)

        日本語で言うところの皮が「ムケた」立場の人へ:

        ここに書かれたような情報は、あなた方の逆の立場、つまり日本語で言うところの「仮性包茎」の立場の人は単純にシェアしにくい。ゆえにこのような情報が世の中に広まらず、今だに不毛な悩みをもつ人たちがあとを絶えない状況にあるのではないだろうか。

        もしこれを読んで何か感じるものがあったなら、コンプレックスを感じてないであろうあなた方に積極的にシェアしてほしい。この現状を変えられるのは、むしろあなた方なのである。

        野坂昭如、せっちゃん(火垂るの墓)と三島由紀夫

        作家、野坂昭如が旅立たれたようだ。

        私は野坂昭如にこれといった思い入れがある訳ではない。正直なところ「変なおっさんが死んだ」くらいの感想しかないのだが、この機を逃すと彼について書くことなど一生ないだろうという思いから、『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』で野坂が描く「先輩作家」三島由紀夫について思ったことを書いてみた。

        左:野坂昭如
        右:渋谷某書店の又吉直樹コーナーにて平積みにされる野坂の処女作『エロ事師たち』。この作品を絶賛する三島由紀夫の後押しで野坂は作家の道に進む。

        『赫奕たる逆光』で描かれる三島は、とにかく面倒見がよく、律儀だった。印象的だったのは、作家としては雲の上の大先輩であるにもかかわらず(年齢は5歳差でほぼ同世代)、後輩野坂に対して偉ぶった様子もなく、敬語を使い、「腰が低い」と形容しても良い程に物柔らかな人物であった。

        ある時は野坂が「右翼団体が自宅に嫌がらせに来て困るんですが」と相談をもちかけると、三島は「こんな風に対処してはどうでしょうか」と、"左翼"団体が自宅に嫌がらせに来た時の対処法を具体的に伝授したりと、政治的見解の違いを超えた師弟関係が描かれていた。

        両者には決定的な共通点がある。両者とも、終戦直後若くして妹を失っている。三島の野坂へのいたわりは、あたかも壮絶な同種の悲しみを背負った弟分に対するいたわりのような気もする。三島は野坂を通じて、あるいはその野坂の亡き妹(『火垂るの墓』で描かれる節子)を通じて、自分の力では助けられなかった妹(平岡美津子)の死に対して許しを請うていたのかもしれない。

        左:野坂の代表作『火垂るの墓』主人公清太の妹、節子。野坂本人も妹の遺体を自らの手で火葬するなど、本作品は野坂の実体験を元にしていると言われている。
        右:三島由紀夫

        三島といえば、三島事件に代表されるような暴力的なイメージが先行するが、これは複雑な人間性の一側面でしかないと思う。少なくとも野坂の描く人間・三島由紀夫は、天国で節子に蛍を取ってあげているような人物に、私には映った。

        三島「あれ? せっちゃん。向こうからだれか来たよ。」

        節子「だれやろ? あ、にいちゃんやー! にいちゃん見て。この人、蛍いっぱいとってくれはってん!」

        野坂(やや照れ臭そうに)「あぁ、どうも。あぁ、蛍こんなに。すいません。ご無沙汰しております。」

        三島(満面の笑みで)「お元気でしたか?」

        寺尾紗穂さんの曲、3 + 1選

        先日、YouTubeで寺尾紗穂さんというシンガーを発見した。その方の曲を3曲紹介したいと思う。

        1つ目は「はねたハネタ」。代々木公園井の頭通りの交差点での人身事故の話。
        途中、人をはねておきながらそれを茶化すような歌詞があったので一瞬不快に感じたが、最後はとんでもない展開になる。

        2つ目は「アジアの汗」。日本の街並を作ってきた「土方さん」の話。私の働くビルも、恐らくあなたのビルも、きっとこうやって作られてきたんじゃないかなと思う。

        3つ目は「骨壺」。タイトルを見ると死別の話のようだが歌詞をよく聴くとそうではない。誰も死んでいない。

        三児の母でありながら、執筆家としてホームレスや日雇い労働者、原発労働者の記事も執筆もされている。

        「鳴き殺し」という言葉をご存知だろうか?原発労働者は一定時間内の許容被曝量を超えた時にアラームを発する線量計を携帯して作業しているのだが、このアラームがうるさくて作業にならないため音をミュートして作業しているそうだ。このことを「鳴き殺し」というらしい(これはNHKのドキュメンタリーで知った)。

        私は先の震災まで、原子力発電所で働く人間は東大の原子力工学やその他工学部出身のエリートだけで、危険な作業はほとんどオートメーション化されているものだと思っていた。労働者の実態を知って、日本が誇る技術力というのもこの程度のものだったのか、と思った。ふと、かつて見たロマンティックな夜景やイルミネーションを思い出し、これらの景色もこのような「鳴き殺し」でできていたのかと思うとなんとも言えない気持ちになった。

        最後に、Joni Mitchellの名曲 "Case of You" をどうぞ。私はこの曲で寺尾紗穂さんを知った。


        "The reason I jump"という名の美しい書籍について

        先日、新宿紀伊国屋の洋書コーナーをぶらついていると、息をのむほど美しいカバーデザインの書籍を発見した。"The reason I jump"(直訳:私が跳ぶ理由)というタイトルから、ダンサーの自伝か、はたまた風変わりなチャレンジに挑む青年の物語か、と想像をかき立てられた。さらに驚いた事に著者は日本人のようで、私は「新鋭の作家かな」と思った。

        そしてサブタイトルを見てようやくこの本のテーマを理解した。事実、我々は日常でしばしば「跳ぶ人」に遭遇している。公園で、住宅街で、駅のホームで、あるいはショッピングモールで。

        このような公共の場で、いきなり飛び跳ねたりする人を見た事がないだろうか?時には奇声をあげ、また不自然に動きまわり始めたかと思うと、不可解な独り言を発し続けたりする人を見た事がないだろうか?そう、この本はまさにこのような人々、つまり自閉症の少年(執筆時13歳)が自らタイピングによって書き上げたエッセーである。

        このような人々がどのような感覚や感情を持って生活しているかを想像すらした事がない私にとって、この本の内容は衝撃であった。

        以下はこの本の引用である。
        Basically, my feelings are pretty much the same as yours.

        (私訳)僕の感情は、みなさんのものとほとんど同じです。

        ではなぜ、一見奇行と思われる行動に出てしまうのか、少年は以下のように説明している。

        It's as if my whole body, except for my soul, feels as if it belongs to somebody else and I have zero control over it. I don't think you could ever imagine what an agonizing sensation this is.

        (私訳)まるで感覚や感情は残したまま、自分の肉体だけが別人になり、まったくコントロールできないみたいな感覚です。これがどれほど苦しいことかを想像することはできないと思います。

        さらに、言動をコントロールできない自分に対しての自己嫌悪的記述が幾度となく現れ、読んでいて心を締め付けられる。

        Whenever we've done something wrong, we get told off or laughed at, without even being able to apologize, and we end up hating ourselves and despairing about our own lives, again and again and again. It's impossible not to wonder why we were born into this world as human beings at all.

        (私訳)何か間違った事をするといつも、僕らは謝ることすらできず、叱られたり笑われたりします。そして自分自身が嫌になり、何度も人生に絶望します。何度も、何度も。なんで僕らはこの世に人間として生まれてしまったのかとさえ考えてしまいます。

        The hardest ordeal for us is the idea that we are causing grief for other people. We can put up with our own hardships okay, but the thought that our lives are the source of other people's unhappiness, that's plain unbearable.

        (私訳)僕らにとっていちばん辛いのは、他人にたいして迷惑をかけているということです。僕らは自分自身の苦悩にはなんとか耐えられます。だけど僕らの存在がまわりの人たちを不快にさせているということだけは、ただただ耐えられません。

        一方、彼らには彼ら特有の芸術的感性があり、それが彼らだけでなく、この本を読む側にも救いになっている。

        Every single thing has its own unique beauty. People with autism get to cherish this beauty, as if it's a kind of blessing given to us. Wherever we go, whatever we do, we can never be completely lonely. We may look like we're not with anyone, but we're always in the company of friends.

        (私訳)すべてのものが、それ特有の美しさがあり、僕らはこの美しさを感じ取ることができます。これはまるで自閉症の僕らに与えられた祝福のようです。どこに行っても、何をしていても、僕らは完全に孤独にはなりません。僕らは一人ぼっちに見えるかもしれないけど、いつも友達(その美しさ)と一緒にいます。

        To us people with special needs, nature is as important as our own lives. The reason is that when we look at nature, we receive a sort of permission to be alive in this world, and our entire bodies get recharged. However often we're ignored and pushed away by other people, nature will always give us a good big hug, here inside our hearts.

        (私訳)特別なサポートが必要な僕らにとって、自然は自分たちの命と同じくらい重要です。自然は、僕らにこの世に生きることの許しを与えてくれるし、全身を充電してくれます。人に無視されたり、のけ者扱いされても、自然はいつも僕らを、僕らの内面を、優しく大らかに抱きしめてくれます。

        またこのエッセーは章と章の間に、時折、筆者による短編小説が埋め込まれている。

        以下は気が狂ったように7日間ぶっ通しで踊り続ける少女の物語のラストシーン。

        Then, on the eighth day, this handsome young man appeared. He said to her, "Would you care to dance with me?" With that, the girl stopped dancing. She said, "Thanks, but no. I've just discovered something more precious than dancing." Then, in a small house, they lived happily ever after.

        これを読んで、自閉症の13歳の少年が「恋愛」という感情を理解していることに驚くと同時に、この終わりの見えないダンスという熱狂から自分を救い出してくれる白馬の王子と遭遇するという少女の物語に、少年自身の儚い願望を投影しているようにも思えて、言葉にならなかった。

        なお、このカバーデザインはKAI AND SUNNYというロンドンのアーティストによるもので、彼らは他にも多くのカバーデザインや、ファッションブランド「アレキサンダー・マックイーン」とのコラボレーション作品なども手がけているようだ。この本のカバーの色合いやフォントがほんの少しでも違っていれば、私はこの本を手に取っていなかっただろうと思うと、デザインというものが持つ社会的な影響力を痛感した。

        著者(東田直樹)とこの本の翻訳者(デイヴィッド・ミッチェル)との再開の様子

        日本人の著書、異例の米Amazon全書籍ランキングでNo.1に

        先日ある調査のため、米Amazonのランキングページを徘徊していると見覚えのある本が6位にランキングされていて驚いた。
        Amazonのベストセラーページは、諸外国のトレンドを簡単に確認できる簡易マーケティングツールとして重宝している。

        近藤麻理恵(通称、こんまり)による『人生がときめく片づけの魔法』の英語版 "The Life-Changing Magic of Tidying Up" である。私は姉の紹介ですでにこの本を読んでいたため、米国でトップ10入りしていることを発見して嬉しくなり、その日以来日々「今日は何位だろう」と確認していたところ、ついに昨日(日本時間で2月28日)米Amazon書籍ランキングで、堂々の1位になったようだ。

        この本はタイトルの通り「片付け」に関する本だが、1位になったのは「生活関連書籍」カテゴリーではない。小説やビジネス書、歴史、宗教、政治、経済、アート、スポーツ、子供向け書籍を含む、「全」書籍のランキングである。総発行部数はロングセラーに比べれば未だ少ないだろうが、少なくとも今この瞬間は、映画で話題の『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』や児童書の『はらぺこあおむし』、その他『アルケミスト』『7つの習慣』『グレート・ギャツビー』よりも売れているということだ(これらいずれもトップ100以内)。

        発売から間もない本書は既にレビューも1,000件以上投稿されており、同じく生活関連カテゴリーで日本でもベストセラーの "Lessons from Madame Chic"(邦題『フランス人は10着しか服を持たない』)を上回っている(ちなみ私はこちらもちゃっかり読んだ)。村上春樹の『色彩を持たない…』や『1Q84』が米Amazonで何位まで上りつめたのかは不明だが、この『人生がときめく…』はイタリア語版も伊Amazonで1位、フランス語版は仏Amazonで発売前の予約の段階で6位になったというのだから、国外ではほぼ無名の日本人の著書としては極めて異例のことではないだろうか。

        さて、私はこの本、「幅広く万人に読んでもらいたい」本だと思った。極端に言えば「日本人一億人全員に読んでもらいたい」とさえ思った。

        このような意見は大げさに聞こえるだろうから一点補足しておきたい。私は、読書家というにはほど遠いが、人並みに様々なジャンルの本を読んできた。国内外の文学に始まり、哲学書、戦記物(特に第二次大戦)、科学、宗教書、自伝、政治・経済、ビジネス書、インターネット関連技術書、医学書等々、もちろん考え方や人生を変えられた書籍にもたくさん出会ってきた。しかし、「日本人全員に読んでもらいたい」とまで感じさせられた本は、この本を除いてただの一度もなかった。

        それどころか、私は他人に書籍を紹介することに関しては極めて慎重である。人によって読む本はその時の気分があるだろし、本を読むということは、その人の人生の数時間、場合によっては一日以上を割くことになる。もちろん「この本面白かったよ」くらいの話はよくするが、是非とも読んで欲しいと他人に強く勧めた本は、スティーブ・ジョブズやジェフ・ベゾス(Amazon創業者)が絶賛するマーケティング書の名著『イノベーションのジレンマ』くらいである。このブログでも書籍を紹介するのははじめてだ。

        そんな私が、よりによって「片付け」のような一見卑近なテーマの本に「日本人全員に読んで欲しい」とまで感じさせられた理由は、この書籍の根底にあるテーマが、物とは何か、幸福とは何か、という深遠なものにもかかわらず、自己啓発書にありがちな説教的な記述がほとんどなく、そのテーマに向かいあう手段が、目の前にある文具や書類、クローゼットの衣服や雑貨、家具、電子機器、昔の写真や旅先で購入したお土産などから始められるという極めて実践的な点にある。そのため、この本を読んでも何の役に立たないであろう人種を想像することができなかった。どんな人間だってペンを2本以上持っているだろうし、ビジネスマンならワイシャツは2枚以上持っているだろう。彼女のクライアントに経営者や起業家、その他社会的影響力が高い人たちが多いのも納得できる。

        すでに英語版が発売されていることは最近知ったが、一点気になったのは「身の回りにある物は全て、あなたを幸せにする使命を持っている」というようなanthropomorphism(神や物質の擬人化)的な記述が、一神教が背景にある西洋では受け入れられにくいのではないか、という点だった。しかしこれは杞憂だったようだ。実際Amazonのレビューを見るとそのような指摘が見られたが、そのような文化的な違いを超えて、これだけ評価されている。

        参考)

        著者のGoogle社での講演の様子

        ニューヨーク・タイムズの記事
        Kissing Your Socks Goodbye - Home Organization Advice from Marie Kondo

        ウォール・ストリート・ジャーナルの記事
        Marie Kondo and the Cult of Tidying Up


        ヤフオクで競り負けた件

        数年ぶりにヤフオクを利用した。久しぶりに利用してみて、欲しい物(やサイズ、色等)が確定している場合は、やはりオークションは安上がりだし、リサイクルという観点からも良いなと思った。数年間利用していなかった理由は、欲しい物は常に新品で購入していたから、ではなく単に物欲が無かったからだと思う。

        で、数年ぶりに入札して、数年ぶりに競り負けた。以前もそうだったが競り負けた時に私はよくこう思う。
        「おやおや、そんな金額出しちゃって。送料含めたら定価と変わらないじゃないか。そうか、喉から手が出るほど欲しかったのか。では仕方あるまい。譲ってやろう。大事に使うんだよ」と。
        皆さんは思わない?

        ところで私の入札方法は、自分が出せる金額をカタカタ、タッーンと一気に入れて、それ以降はチマチマ入札したりしない。特に終了時間ギリギリに入札してライバルを出し抜くなんてもってのほか。私は新渡戸稲造の『武士道』の信奉者で、そういった行為は武士道精神に悖(もと)ると考える。

        武士道 (岩波文庫)

        ~ 新渡戸 稲造 (author) More about this product
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        私の入札方法はもう一つある。例えば15,000円まで出せる時、15,010円で入札する。そうすると他にも15,000円で入札したユーザーにたった10円で競り勝つことができる。ヤフオクには「入札単位」というルールが存在し、このくらいの金額の場合、私に競り勝つには500円以上を上乗せする必要があるため、相手が諦めてくれる可能性が高い。

        「それが武士道かw?」と言われたら、反論できない。
        という訳でもう一度読み直そうと思う。今度は新渡戸による原著(英語)で。

        Bushido: The Soul of Japan

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        さて後日、同じ商品でより状態の良い物を五千円近くも安く落札することができた。一体これはどういうことだろう? これは例えばギュウギュウに混んだ山手線を一本やり過ごすと、次に来る電車がガラガラのことがあるが、この現象はそれと同様のものだと思う。

        玄岳登山(熱海)

        会社の行事で熱海に行って来たので、その翌日玄岳という山に登ってきた。800mの低山ながら360度のパノラマが楽しめるという。

        まずは熱海駅からバスにて玄岳ハイクコース入口まで向かう。ここで標高200m。つまり山頂までの高低差は600mになる。

        ここからもしばらく民家続く。民家が途絶えて少し歩くといよいよ登山らしい景色に変わる。

        ようやく登山道の開始。

        ここからはひたすら登る。勾配はさほど急ではないが、緩やかになることもなく、ただひたすら登るのみ。途中休憩個所や自販機などは一切ないので、特に夏場はかなり大目の水分を持参すること。

        森の中を1時間ほど歩いただろうか、相模湾が一望できる見晴らしの良い地点に到達した。

        ここからは山頂間近。土壌の影響か気候の影響か、高い樹木は突如として消え、森林限界のような風景になった。思わず走り出した。

        そして山頂、360度パノラマ。土曜日だというのに登山者はほとんどおらず、山頂も私一人だった。

        天気は良かったが残念なことに、富士山は中腹から雲に隠れて見る事ができなかった。上の写真の雲に隠れた大きな山が富士山(のはず)。

        以下、玄岳登山まとめ

        1. 登山道は分かりやすく道に迷う事はほぼない
        2. しかし登山者がかなり少ないため、単独登山より2人以上が理想かもしれない
        3. 勾配は比較的なだらかで、登山口から山頂までほとんど変わらない
        4. 2点確保、すなわち片足をあげる際に片手を地面につけないといけない個所が一カ所あった
        5. 登山口から山頂まで、休憩所や自販機等は一切無いので、特に夏場は水分は大目にもっていきたい
        6. トイレもない

        ところで日本語で言うところの「登山」って英語でなんと言うのだろうか。"mountain climbing"でも"mountaineering"でもないことはGoogle画像検索の結果を見れば確かだ。イメージとしていちばん近いのが"hiking"だった。そのためパーマリンク(この投稿のURL)には"hiking"を採用した。
        ※なお、"trekking"はかなり平坦な山道を歩くようなイメージだった。


        メイサとTASCHEN(黒木メイサになる夢をみた)

        ※最近ブログ書いてないのでかなり不毛なブログを書く。制限時間は30分。どこまで書けるか!(誤字脱字あり)

        今朝見た夢の話し。私が黒木メイサになってた。笑
        といっても、私はよく夢の中で、著名人だとか、小学校のもう名前も忘れてしまった同級生になったり、それどころかソフトウェアや、一度あったのがソフトウェア開発で利用する「変数」という概念になったりするので別に驚かない。黒木メイサも別にファンという訳でも詳しい訳でも全くない。

        家族構成はメイサ(25歳)と、仕事が忙しくほとんど顔を合わせることがない父(50代)と、とても優しくて可愛らしいお母さんの3人家族。兄がいるけど、都心で一人暮らし。

        で、ひょんなことから、父の弟であるタツオさん(45歳)が我が家に舞い込んできた。独身で、どう考えても彼女がいるような雰囲気でなく、なんと仕事もしていない。父が仕方ないといって、我が家で同居する事になった。「どこに行けばそんな服売ってるの?」という身なりで、髪の毛はモジャモジャ、腹もだるまのように出ており、到底父の弟だとは思えないような風体。食事の時も目を合わせる事もなく、話しかけても、「まぁ」とか「はい」しか言わず、何を考えてるのかも分からず気持ち悪い。

        母さんは優しい人なので、タツオさん、タツオさんと世話をしているが、メイサはたまったものじゃない。ある日、町内会の祭りがあって、家族、といってもいつも通り父はいないのだが、で出かけた。無理やりタツオも連れて行った。(メイサは心の中でタツオと呼び捨てにしていた)「あの人、ほんといつまで内にいるつもりなの、今日はちょっとはっきりさせておきたいの」とメイサが言うと、母は、「まぁまぁ」と言う。メイサは竹を割ったような性格である。(ちなみに私は違う)

        気付いたら、タツオ、テントの下で一人で焼きそばを食べてやがる。近づいてみると驚いた事に、てんこ盛りの焼きそばに具が全然乗ってない。メイサは、「タツオさん、キャベツとか食べちゃったの?」と言うと、「いや、キャベツ嫌いなんで入れてもらってない」と言った。健康や食に関して人一倍うるさいメイサはいい加減切れた。「は?」そこでメイサの炭水化物がどのようなものか、食物繊維とは何か、農耕革命以前の人類史からはじまる説教がはじまった。(メイサはちょっと変わった所がある)

        タツオは「へー、面白いね」と言った。メイサは、なんか良く分からないけど、他の友人や家族には話さないような話しを聞いてくれて、ちょっと嬉しかった。「でさー、彼女とかいんの?」「いや」「どんな人がタイプなの?若い子?」「いや」「いやって何よ?」「フツー」「フツーって何?ギャルとか?」「いやいやいや若いのは駄目」「へー20代後半くらい?」「いやいやいや、俺もう45だよ」「じゃあ何歳くらい?」「40代くらい」という会話をした。メイサはちょっと安心した。どうせロリコンアニメでオナニーしてるか風俗でも通ってるんだろうと思ってたからだ。

        「へー、じゃー」といってタツオの横に座ると、メイサはスマホを取り出して、「40代 女性」で画像を検索しはじめた。で、タツオに、「こういうの?」と聞くと、「まぁ」という。タツオ、意外とストライクゾーンが広く、とりあえず笑顔の女性なら「まぁ」と言う。「あ、そうだそうだ」と言ってメイサは「美魔女」というキーワードに変更した。「こういうのは?」と聞くと、「いや、これは無理だわ」と答える。「なんで?敷居が高い?」と聞くと、「いや、なんか無理」という。ところが女優の吉瀬美智子の画像がでると、タツオが肩を乗り出してきた。「この人はいい」メイサは爆笑した。「これ女優だよ?タツオさんには無理だって(爆笑)」「いや、そんなの重々分かってるよ。というか、俺は誰も無理だよ」としょんぼりしていた。タツオ、いたったまともなやつだった。

        メイサは提案した「よし、タツオさん、痩せよう。私が指導するから。痩せて彼女作ろう!」「いやー、いいよ、そんなの」とかいう会話をしたが、タツオも少し乗り気なようだった。少し打ち解けたメイサは、「タツオさん、折角なのであだ名作っていい?」と聞いた。「まぁ、いいけど」「うーん、タツさん、タッさん、あ、タッシェン、タッシェンがいい!」とメイサは言った。「タッシェン?」「そう、Taschenっていう写真集とかアート系の出版社があるの、よく本屋に売ってるよ、それをパクってタッシェンにした」

        以上、30分。やっぱり全体の1/3くらいしか書けなかった。

        その後、メイサが実はレズビアンで、イギリス人の女性と結婚した願望があることや、子供を3人欲しい事や、口癖が「精子」であることや(精子バンクでの精子の提供を考えてる)、タッシェンがメイサのために一念発起して英語を猛勉強して(メイサはイギリス人と結婚したいのに英語ができない)、最終的に子供向け英会話教室をひらいたり、タッシェンのお見合い会場にメイサが駆けつけて「この人いい奴なんです」と世話を焼いて回ったり(結局タッシェンはダイエットには成功しなかった)、逆にメイサがモデル事務所にスカウトされたときは気の乗らないメイサを鼓舞して保護者として事務所まで付き合ったり(でもメイサは「私テレビとか見ないんで」と言って破綻)、最終的にはメイサとタッシェンの友情と成功物語になっていった。

        起きてからも、タッシェン、どうしてるのかな、と考えた。街に出ても、ふとタッシェンがその辺に歩いてないかな、と思った。タッシェンとは、誰だったんだろう。

        映画『アリス・イン・ワンダーランド』でも使われたソニー・ピクチャーズ製Pythonツール 〜The Pyed Piper

        先日Pythonでワンライナーを書いていたら、The Pyed Piperという変なツールを発見した。2012年のリリースでさほど新しいツールではないが、あまり日本語の情報がなかったので紹介しておこうと思う。

        簡単に言うとPython版のsed+awk+αツールで、Sony Pictures Imageworksが開発しており、『アリス・イン・ワンダーランド』や『アメイジング・スパイダーマン』の視覚効果作成時の画像操作に利用されたらしい。

        という訳で、The Pyed Piperをインストールする。

        するとこんなことができる。

        以降はSony Pictures Imageworksが作った手の込んだ紹介ビデオがあるので、そちらで。

        と、紹介しておきながらなんだが、私はこのツールからsedやawk、xargs等に取って代わるような「何か」を感じ取ることができなかった。記号が呪文のようなsedやawkの代わりにPythonが使えるというのが売りだと思うが、それならいっその事Pythonスクリプトを書いた方が早い気がした。

        あるいはLinuxコマンドとの親和性を求めるならFabricを使うのもいいと思う。Fabricは構成管理ツールやデプロイツールとして、ChefやCapistrano等と比較して語られがちだが、fabric.apiのlocalメソッドを利用すれば(あるいはリモートホストに127.0.0.1を指定しても良い)高機能なシェルスクリプトとして利用でき、Pythonのリストやメソッドをそのまま利用できる。

        そしてFabricの何が素晴らしいって、なんならFabricからこのThe Pyed Piperを利用してもよい。(その逆はできない、はず)

        The Pyed Piperはプログラマーよりもむしろ、HTMLマークアップエンジニア、デザイナー、プロジェクトマネージャー、マーケッター、営業職、あるいは大量のJPEGファイル管理に悩む写真家の方等にふさわしいツールかもしれない。
        ※「プログラマーでもこういうのに使うと便利だよ」というのをご存知の方、是非ご一報を!

        ちなみにこのツールの名前は、The Pied Piper of Hamelin(ハーメルンの笛吹き)のもじりで、「Python」で「パイプ」が使えるためこういう名前になったんだろうと思う。こういうネーミング結構好き。

        一方で、Fabricは名前が一般名詞すぎて…。どうにかならないかなと思う。